アンティーク掲示板 陶迷庵

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出会う力

 投稿日 2026年7月7日(火)08時24分 投稿者 まゆき 削除

KEIさんの「べロズ」とは何ぞやとAIに聞いてみましたら、「「ベロズ」は英語の「Vase(ベイス / 花瓶)」の古い読み方や聞き間違いの愛称で、
かつてヤフオクなどのオークションサイトで取引されていた事例があります」とのお答え。
べロズの意味はよく分かりましたが、「取引されていた事例」ってそれKEIさんのこと?…そうだとしたら、いや〜AI恐るべし!

皆さまがおっしゃる通り、思いが強ければそれは探す力にもなりますし、それが良い出会いにつながるのだと思っています。
ただそういう良い出会いもあれば、安くゲットできた!と掘り出した気になって結局仕舞い込まれたりということもありました。
今は出会う力が低下していますが、回復目指して少しづつ力を貯めていきたいと思っております!


掘り出し物とコレクターとモノとの出会い

 投稿日 2026年7月6日(月)20時23分 投稿者 kazu 削除

KEIさん
出会いと言うよりも、掘り出し物と言う意味では、ギャラリーに投稿させていただいたバーリー社の
お皿も掘り出し物でした。あれだけの装飾で、1枚のお値段は私の散髪代くらいでしたから。
実はこれはある企業の創業者のコレクションで、3代目の社長さんが、ヤフオクで処分されていたモノです。
ですので売主さんは、社長さんご自身で、詳しい情報が無かった様です。
ヤフオクや海外のオークションなどでも、制作者が分からなくて、格安で売られている事はよくあります。

出会いと言う意味では、ウースターのファンパターンは、出光コレクションと同じレベルを目指していましたので
ティーキャニスターやパンチボウルとの出会いは幸運で、今となっては2度と出会えない様に思います。

ウチにあってはいけない程のモノは、実はそれほどなくて、王室のモノでも、クリスティーズや
サザビーズを見れば、普通にそれ程高価でなく売られている事もあって、結局需要と供給で値段が決まるので
来歴を見て行くと、同じモノが様々なお値段で売られていたりします。
マイセン窯や古伊万里ののヨハネウムマークの入ったモノは、アウグスト強王のコレクションですが、
沢山ありますから、それ程の値段にはならないのでしょう。
父のコレクションで、昭憲皇太后のお持ちだった象嵌の花瓶があるのですが、これは美術館に寄贈しようと
思っています。ちょっと恐れ多いです。


良順法親王

 投稿日 2026年7月6日(月)08時05分 投稿者 KEI 削除

Mieさん

その後陽成天皇の第八皇子の良順法親王というのは
相当やんちゃだったらしく、徳川家康の養子に入った後
色々やんちゃをして、一時甲斐国に送られた事があるのです。
雨端静軒は甲斐の国の硯師です。残された親王の硯を研ぎ直すことは
充分に考えられます。雨端静軒の書簡にも「良順法親王の硯研ぎ代として」
と書かれています。
形としては俊睨硯(睨んでいる獅子ですね)裏に和歌が一首刻まれています。
親王は和歌に長けていたようです。

まさかそんなものが家にあったなんて・・・・お知り合いの
書道家に見せたら「これはすごいものだよ!」と言われびっくり!
今度画像が撮れたら投稿させていただきますね。
まあアンティークのコレクターでしたら、皆様何かそういう経験は
あるのではないでしょうか?

ただ家に入れてまずいものもやはりあるので、我が家は息子に
そういう勘があるので「ん?」と思った時は息子に
「これ家に入れていい?」と聞きます。「やめた方がいい」と言われた
事もあり、そういう時は素直に聞きます。

古いものはやはり、相応の力があります。それを侮らず真摯に
向き合うのも大切かなあ・・・とおもっております。
皆様のお話お聞かせくださいね!


大海老様でしたか!

 投稿日 2026年7月5日(日)20時30分 投稿者 Mie 削除

KEIさん、ありがとうございます。早速HPで拝見しました。リバティー社のための特注品の超貴重なお品を
しかも信じられないようなお値段でゲットされたとは。KEIさんの集中力(=引力)恐るべしですね。
後陽成天皇ゆかりの硯もまた、持つ人を選ぶお品の一つだったのですね。
見る目のある人にはちゃんと向こうから来てくれるものなのですね。

まゆきさんはもとより、ここに集われている方々はどなたも同じようなご経験が豊富なのではないでしょうか?
皆様のお話もお聞かせ願えると嬉しいです。


べロズ

 投稿日 2026年7月5日(日)19時54分 投稿者 KEI 削除

Mieさん

べロズはウォードル社の陶器です。ウォードル社はリバティの為に
いくつかの陶器のシリーズを提供しています。たぶんご覧になると
ああ、あれね・・・と思われると思いますよ。

私の場合アンティークにのめり込んでいる時に「来る」事が多いです。
ですからあまり「来る」時で資金がない時は意識的にシャッターを下ろします。
「来る」時は何となくわかるんですよ。ずっとその事を考えていると
目の前に来ることが多いようです。

集中力が呼び寄せちゃうのかなあ・・・?不思議な経験は結構あります。
先日は以前買った硯が、何かすごいものだと言うことが最近
わかり(後陽成天皇の息子の持ち物でした)どこかに寄贈しようかと
思っています。(徳川家康の養子だったこともある親王です)
先代の雨端静軒が研いだという手紙もついていて、間違いのないものの
ようです。私が持っていてもなあ・・・という感じです。
これもヤフー。恐るべしヤフオク!


ベロズとは?

 投稿日 2026年7月5日(日)19時16分 投稿者 Mie 削除

KEIさん、「来るとき」といいますか…「来るときは来る?」このタイミングってなんなんでしょうね。
アンティークは、求めている時は得られずに、忘れた頃に偶然出会うことがありますが、その偶然が必然のように思われるという。不思議ですね。
ところで不勉強のため「リバティーの海老模様のベロズ」とはいったいどのようなものか全くわかりません。
それはファブリック?それとも工芸品ですか? 


来るのですよね

 投稿日 2026年7月5日(日)17時29分 投稿者 KEI 削除

Mieさん

アンティークとのお出合い・・・・あれ怖いですよねえ・・・汗。
私が一番驚いたのはもう10年以上前だと思いますが
東京プリンスの骨董ショーで、いつも行くお店に
素敵なアールヌーボーの小さなベースがあったのですが
見たこともない感じで、どこの窯かお聞きしたら
ハンガリーのショールナイ工房、でもいつも見かけるショルナイとは
デザインも感じもまるで違い、お値段も50万超え・・・・
この時期だけこの工房は素晴らしいものを作っていたというレアもの
でした。

ふ〜〜ん、と思い帰って何となくヤフーオークションを
見ていたら、出てきたのですよ!同じタイプのショルないの小さな
ベースが・・・・価格は1万ちょっと・・・この出品者さんは
商社マンでいらしたらしく、色々な国のものを適当な価格で
出品されていました。思わず「早期終了可能ですか?」と
質問したらオーケー!はい、1万円少々で手に入れました。
もちろんそういう物がお好きな友人に落とした価格でお譲りしました。
(親切な友人は少々高く買ってくださいましたが)

またある時はお茶道具(やはりヤフオクです)をぼーっと見ていたら
何か意味不明な英語の単語の出品物が¥3000で・・・・・。
リバティのグリーンに海老模様のベロズが対で¥3000でした。
こういった経験が結構あります。怖いです・・・。
Mieさんも今来ているのですよ。そう思われませんか?


アンティークと出会いの妙

 投稿日 2026年7月5日(日)13時08分 投稿者 Mie 削除

「なんでこれがここに出てくるの?!」
というアンティークとの出会いは本当に数多いです。・・・というKEIさんのお言葉を今日、実際に経験しました。

kazuさんがLenox とAmerican Belleekの事を教えて下さったので、アイルランドのベリークとロイヤル・ウースターの関係などを
思いうかべていた矢先、ネットショップで偶然出会ってしまいました。磁器のコレクションから遠ざかって10数年、昨年のジャスパーウェアのリングに次ぐ出会いです。
Grainge Worcester 1897年 toy ware サイズのマグカップ。コマドリの絵が手描きされているだけのもの。だけどそれは、まさしく「なんでこれがここに…!」と思えるものでした。
KEIさんがそのように思われた経験は多数あるとのこと、そのうちの一つをぜひ教えていただけませんか?


NYSCC125周年

 投稿日 2026年7月2日(木)08時13分 投稿者 kazu 削除

Mieさん
アルフレッド大学のサイトを見ました。
NYSCCは、The New York State College of Ceramics Artの略で、1900年にビンズが設立したのですね。
昨年の5月から12月の設立125周年で催された、History: A Legacy in Motion, Alfred Ceramic Art 1900–2025.と
言う展覧会の記事の中では、当時の学長ブース・C・デイビス(Boothe C. Davis)に招聘されて、責任者に就任したと
書いてありました。1893年に父親に随行してアメリカのシカゴ博覧会へ行った事が大きなきっかけになった
かも知れないですが、渡米後のトレントンでの活動が素早く、やはり何らかの伝手や、計画があっての渡米だったの
かも知れないですね。シカゴでは、バーリー社と接点があったかも知れないですね。
やはり、若いうちに渡航するべきですね。でも父親からすると、唯一の後継者である息子が遠く異国へ離れていく事には、
どういう思いだったでしょうか。複雑ですね。
この記事に1920年に彼が制作したブラウンの釉薬、鉄釉でしょうか?直径12インチの大きなボウルの写真が
載せてあります。肩から底に向かって萎んでいく、天目茶碗のようなスッキリとした洗練された形でした。
彼はマット釉や、結晶釉などを研究していたそうですが、シェイプは洗練されたシンプルな器形が多い様です。
個人で制作活動を行うStudio Potteryの活動は、アーツアンドクラフツの様に、産業革命以後の工業生産品からの
反動で、起こっていったのかも知れないですね。チャールズ・F・ビンズは、そう言う創作活動をアメリカに
根付かせた第一人者だったのだと思います。


追記

 投稿日 2026年7月1日(水)10時30分 投稿者 Mie 削除

資料の写真は展覧会の展示作品のひとつで、Lenoxに提供されたデザインについては言及されていません。
kazuさん、サッカー観戦楽しまれていたのですね。
私はスポーツがまったくわからないので。ごめんなさい(汗)単なる年寄りの早寝早起きでした。


Re. C.F.Binns

 投稿日 2026年7月1日(水)10時01分 投稿者 Mie 削除

kazuさん、C.F.Binns氏について教えてくださってありがとうございます。私の資料はカラーコピーではないので形と釉薬の感じしかわからないのですが、
宋の鈞窯のようなアートグレイズの広口のvaseの写真があります。
Alfred Universityのサイトで検索した作品と同じ系統です。
www.alfred.edu/about/news/pressreleases/general/2025/125-years-of-ceramic-art-opens-at-the-alfred-ceramic-art-museum-may-8-2025.cfm

1998年の展覧会資料の記事によると父親のRichard Binns(1819-1900)が73歳だった1893年、シカゴ博覧会の際に息子のC.F.BinnsはRoyal Worcesterの展示のため随行しました。
その数年後に彼はアメリカでキャリアを開始したと記されています。

彼は科学者でありアーティストでもあり、陶磁器の技術教育に生涯をささげ
kazuさんのおっしゃる通り、アメリカのstudio potteryの父と称される人物でした。
彼の前半生25年間をRoyal Worcesterの美術監督である父のもとで修業を積んだことが大きく影響しているのでしょうね。


「アメリカの陶芸の父」Charles Fergus Binns

 投稿日 2026年7月1日(水)08時05分 投稿者 kazu 削除

Mieさん

本当に色々教えて頂き、ありがとうございます。
この方は、ウースターの共同経営者、リチャード・ウィリアム・ビンズのお子様ですね。
陶芸一家で育って、15歳の1872年にウースター社に入社し、陶芸に関する全てを修得した様ですが、
なぜか1897年の40歳で退職し、アメリカのトレントンへ移住します。
どうして後を継がなかったのかとも思いますが、お父さんとの間に確執でもあったのでしょうか。
Henry SandonさんのRoyal Worcester Porcelainを読みますと、アルバートと言う弟さんが居て
Sgraffito(細い刻線で絵を描く)の名人で動物の絵の作品を残していますが、本には20歳になる1882年に
若くして悲劇的に亡くなったとあります。父としては残って会社を支えて欲しかったのではないでしょうか。
トレントンに移住したチャールズは、個人的な芸術活動(Studio Pottery)をする一方、アメリカにおける
陶磁器産業の育成、発展に尽力したそうです。ニューヨークのAlfred Universityでも陶芸を教えていました。
移住した翌年の1898年にはAmerican Ceramic Societyの設立に参画して、翌年1899年には会長に就任
しています。陶磁器に関連した雑誌や新聞への投稿、様々な活動を行った様です。
彼自身は施釉と成形のエキスパートで、19世紀末からフランスでも流行したセッ器などで、やはり中国の
宋時代の釉薬などを研究して、還元焼成で様々な釉薬を開発したそうです。
彼の代表作を見ると、ルーシー・リーの様な茶色系の作品や、一見中国の鈞窯や、3代目徳田八十吉の様な
ブルー系の虹色の様な釉薬の作品があります。逆に以前Mieさんが勉強会で発表された、ウースターの
Sabrina Wareに影響していないかと思いました。
Mieさん、レノックスにこう言う凄い方のデザインが採用されたと言うのは、どう言うものだったのか
興味深いと思います。Mieさんのお持ちの資料には、どういう作品が記載されていますでしょうか?
Alfred Universityで教鞭をとって、ちょうど100年記念の展覧会だったのでしょうか?

因みに、火曜日の朝5時過ぎに投稿されていますが、サッカーを見ておられましたか?
負傷者も多く、監督も大変でしたでしょう。よく頑張っていました。また4年後ですね。


こちらこそありがとうございます

 投稿日 2026年6月30日(火)05時18分 投稿者 Mie 削除

kazuさん、お礼を言うのは私の方です。kazuさんのご投稿と解説のおかげで、以前Lenoxに関する記事をコピーしていたことを思い出しました。
1998年にNYSSC(Alfred University)で開催された展覧会資料を2003年にコピーしたもので、そこに
「Royal Worcesterの美術監督 Richard Binnsの息子である、Charles Fergus Binns が1899年頃にLenox Chinaのために作品をデザインした」との記述があったため保存していました。
ネット記事のコピーですが、元のサイトは消失しており、現在アクセスできないので貴重な一次資料だと思います。Charles Fergus BinnsはAlfred University で教官を務め、磁器の技術指導に貢献しました。
Royal Worcesterの血脈がアメリカで受け継がれたことがわかります。
Lenoxの製品に関して、「American Belleek」のもっとも重要な会社だったことを今回初めて知ることができました。その作品の素晴らしさも知ることができたので、本当に良かったと思います。このように世界が広がるのは一人では絶対にムリなので、
陶迷庵は貴重な場所です。まゆきさん、皆さまにも深くお礼申し上げます。


有難うございます

 投稿日 2026年6月30日(火)01時54分 投稿者 kazu 削除

Mieさん
詳しく教えてくださって有難う御座います。
レノックスは1889年までオットーアンドブリューワーで働いていたわけですが、
やはりレノックス自身は、ベリーク磁器の製法は知らなかったと言う事ですね。
セラミックアートカンパニーはあくまでも小さな装飾工房だったのでしょう。
実際レノックスがベリーク磁器の製作に成功するのは、20世紀に入ってからで
レノックス社になってからと言う事になると思うのですが。
ウィレットも、オットーアンドブリューワーも、20世紀に入ってベリーク磁器の製造に
成功したレノックスも、それだけでは事業に簡単に成功しなかったのかも知れないですね。


追記

 投稿日 2026年6月29日(月)20時53分 投稿者 Mie 削除

Mint Museumの展覧会のサイトにLenox のvaseの写真が掲載されていますが、
ベリークとロイヤル・ウースターのIvory Wareを彷彿とさせる非常に美しい作品で驚きました。


American Belleek

 投稿日 2026年6月29日(月)20時41分 投稿者 Mie 削除

Mint Museum とMetropolitan Museumの記述より以下の事が分かりました。

Belleek 技法を最初に導入したのは Ott & Brewer(1882)であること。
 「American Belleek was initiated in the U.S. in 1882 by Ott & Brewer」と明記されています。
Belleek 技法を本格的に発展させたのは Willets(1884–1887)であること。
 Willets は Belleek 技法の中心人物 William Bromley Sr. を雇い入れ、1884–1887 年に Belleek の製造を開始しました。

kazuさんのご説明から、Walter Scot Lenoxはどちらの会社でも働いた経験があることがわかります。
そして自らの会社を興してBelleek磁器の生産を開始した際にはアイルランドから陶工を招いて技術指導を受けたのではないでしょうか。
若くして一代で起業して成功するとは、まさにプロジェクトXですね。


プロジェクトX

 投稿日 2026年6月29日(月)19時15分 投稿者 kazu 削除

Mieさん
Encyclopedia.comで検索しますと、以下の様に書いてあります。少しまとめましたが、
まさにプロジェクトXですね。

ウォルター・スコット・レノックスは、1859年にニュージャージー州トレントンで生まれで、
ウィレッツ・マニュファクチャリング・カンパニーで陶磁器のデザインや装飾を担当し、その後
20代のうちに著名なオット・アンド・ブリューワー・カンパニーに採用され、美術監督を務めます。
30歳になるとジョナサン・コクソン・ジュニアと共同事業を立ち上げ、1889年に自身の会社である
セラミック・アート・カンパニーを設立します。
当時裕福な米国人は、ディナーセットなどは有名な欧州メーカーに発注していました。
セラミック・アート・カンパニーは、創業当初深刻な財政難で、共同経営者は、才能ある職人を雇用し、
材料にも多額の費用を投じましたが、経費の増大とわずかな利益しか得られませんでした。
1894年、レノックスはセラミック・アート・カンパニーにおけるコクソンの持分を買い取り、
単独で事業を運営します。彼はアイルランドのベリークで生産されていた、極めて高品質で薄く、
象牙色をした磁器の製造に注力し、その技術を習得するためにアイルランドから2人の陶工を呼び寄せました。
しかし会社は次第に深刻な負債を抱えるようになります。
20世紀に入ると、レノックスの健康状態が悪化し、身体の麻痺や視力の喪失が進行する中、運転手に抱えられて
デスクに向かうという日々を送りながら工場での仕事を続け、視力が衰えてからは手で触れることで磁器の
生産状況を確認するようになります。
生産に関するあらゆる決定は依然としてレノックス自身が下していましたが、1890年代初頭から彼を
支えてきた助手兼秘書のハリー・ブラウンへの依存する様になります。
1906年、レノックスはブラウンの協力を得て「レノックス社(Lenox, Inc.)」を設立しますが、
同社にとって最初の大きな転機となったのは、サンフランシスコの小売店シュリーブ・アンド・カンパニーからの
注文に応じた事でした。納品された製品は、まさにその時に発生した1906年のサンフランシスコ地震によって
破壊されてしまいます。しかし、シュリーブ社の店舗跡から掘り出されたレノックス製の釉薬のかかった皿は、
製造当時と変わらぬ見事な美しさを保っていました。この皿は、やがてレノックス社のマーケティング
キャンペーンの要となります。
ハリー・ブラウンはその無事だった皿やその他のレノックス製磁器のサンプルを携えてニューヨークのティファニーを訪れ、
ティファニーはレノックス社にとって最初の取引先となることに合意しました。更にニューヨークから
フィラデルフィアにかけての各地の店舗が次々と顧客として契約を結ぶようになりました。
同社は急速に成長し、第一次世界大戦が始まる頃には、高品質な磁器メーカーとして知られるようになり
1917年、同社はホワイトハウスの目に留まり、当時館内で使用するすべての品を国産品とするよう定めた
1826年の連邦議会決議の履行を目指していた為、ウィルソン大統領はレノックス社に1,700ピースからなる
食器セットを1万6,000ドルで発注しました。その後レノックス社はアメリカを代表する磁器メーカーになります。


レノックス、ガリバー旅行記

 投稿日 2026年6月29日(月)15時28分 投稿者 Mie 削除

kazuさん、詳しく教えてくださってありがとうございます。
私も調べてみた所、Willets Manufacturing Co.がベリーク磁器の生産を開始したこと。Walter Scott Lenox(後の Lenox China 創業者)が
Willets に在籍し、装飾部門を率いたことがわかりました。Trentonにはイギリスの陶工も含めアイルランドやイギリスの陶磁製造技術が伝わっていたのですね。
大変勉強になりました、ありがとうございます。

KEIさん、ガリバー旅行記で一番好きな章は何ですか?私は「馬の国」の物語が好きです。でも馬の国の人間の老人のようにだけはなりたくありません。笑


お話がそれますが・・。

 投稿日 2026年6月29日(月)08時29分 投稿者 KEI 削除

皆様

お話がそれますが、少々面白い企画のご紹介です。

「ガリヴァーと奇想天外!ワンダーランド」

という展覧会を三田の慶應ミュージアムコモンズと言う
三田の慶應敷地内にある小さな美術館でやっております。
ガリヴァーというと大概の方が小さい頃絵本で
小人に縛られたえほんを見た記憶があると思うのですが
実際にスィフトの原作を読み返すと、非常に英国らしい風刺の利いた
文学なのです。やはりマーティンブラザーズのような陶芸は
こういう国だからこそ出たんだなあ・・・・と痛感致しました。
ホガースの版画なども展示されています。

娘も拘っておりまして、また主催(?)の英文学の教授(アイルランド文学)
が後からなんと、私の書道の師匠の甥のような方とわかり
大学の関係者からは「なんでそんなに引くの!?」と
娘は驚かれたようですが、アンティークコレクターとしては
その程度の「引き」はよくあることで、そうでなくては物は
蒐集できないと私は思っております。「なんでこれがここに出てくるの?!」
というアンティークとの出会いは本当に数多いです。
本当に欲しいと思っていると、ボウっとしていても目の前に
出てきてくれるのです。
あまり出てこられると意識的にシャッターを閉じます。

皆様もそういう経験ありませんか?


追記

 投稿日 2026年6月28日(日)23時37分 投稿者 kazu 削除

イギリス人の陶磁器の装飾師のElijah Tatlerは、1874年からレノックスの元で
働き、技術指導をしていましたし、Louise Le LuyerやRebecca Lennoxら、
イギリス人のデザイナーも協力していたそうです。


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