Gallery 陶迷庵 − 私のお気に入り * Page 18**** クリックできるものは、拡大画像があります ****

フィッシュスライス5本の写真
向かって左からロンドン1765年、ロンドン1771年、ロンドン1778年、ロンドン1782年、ロンドン1794年
フィッシュスライスのヘラ部分5枚の写真Trowel 上のアイボリーハンドル:シェフィールド1903年、下の黒檀ハンドル:バーミンガム1950年
パイ、ケーキサーバー:ロンドン1870年

フランス銀器 ニワトリに数字の2の刻印(1809-1819)
菱型にBとCとJかIの工房イニシャル=菱型はシルバープレートでなくシルバー製品

カップ&ナイフ 年代:early 1900s

19世紀後半〜20世紀前半 フランス銀器
純銀素材に一部純金処理

A Samuel Alcock swan? shaped vase
高さ:15.5cm 1836年 Pattern number:6514Two Samuel Alcock plates
直径:23.0cm 1855年
Bird one:Pattern number 3/7188
Both plate with Patent Office Registration Mark
Both registered on the 6th January in 1855, Parcel number 4サミュエル・アルコック(Samuel Alcock)窯
サミュエル・アルコックはスタッフォードシャー州キングスリー(Kingsley)の農家の家に生まれました。最初はハンリー(Hanley)のマーケットスクエアで、食料品店、紅茶のディーラーなどをしていましたが、多くの陶器工場の集うこの地域で陶器事業に参入するまで時間はかかりませんでした。
1822年にスタッフォードシャー州のコブリッジ(Cobridge)のラルフ・スティーブンソン(Ralph Stevenson)と共同で陶器の製造事業に参入しました。
そして1828年にバースレム(Burslem)の丘の上にも製造工場を建設し、Samuel Alcock & co.として操業し、スティーブンソンが工場を去り、キーリング(Keeling)が新しいパートナーとなりました。バースレムのこの工場はHill Potteryとも呼ばれています。
その後更に1830年代までには従業員600人を雇用し、1839年にも大規模な工場を建設して事業を拡大しました。
しかしサミュエルは 1848年 11月10日に亡くなり、その後会社は妻のエリザベスと2人の息子によって経営され、1859年に倒産し工場を閉鎖しました。作品はロココ・リヴァイヴァル様式で、陶器と共にボーンチャイナも生産していました。主に新興中流階級や、アメリカにも輸出していました。
閉鎖後のバースレムの工場は、1861年にサー・ジェイムス・デューク&ネフュー(Sir James Duke & Nephews)が買い取ってしばらく操業し、その後もHill pottery & co.、E.F. Bodley更にE.J.D.Bodleyと引き継がれますが、アルコックの分数番号システムもこれらの窯に引き継がれています。

Crownware small vase 1925年

左上:Fairylandlustre bowl : Ship and Mermaid
右上:Fairylandlustre Lily Tray : Woodland Elves III
左下:Ordinarylustre bowl decorated with Daventry design
右下:Ordinarylustre Scalloped bowl decorated with lustre and butterflis


サイズ:33cm×36cm
裏印:多色カップ印(1946年〜)浜辺で遊ぶ美しい乙女エウロペに一目ぼれしたゼウス神が、白い牡牛に変身し誘拐するギリシャ神話を題材にしています。
ノリタケのボーンチャイナは柔らかく温もりを感じさせる乳白色が特徴で暖色の間接照明の光にとても美しく映えます。
ガラス作家のルイス・C・ティファニー(1848−1933)によるラスター彩を使用したファブリルガラスです。
1890年代から1910年代にかけてのティファニーの人気はアメリカでは、ニューヨーク5番街の父のティファニー商会(宝石商)の世界的名声と共に、飛ぶ鳥を落とす勢いでアールヌーヴォー様式が退潮した後もティファニーの活動は続けられて1933年ティファニーの死後もティファニースタジオが閉鎖された1938年までティファニー作品は生産されていました。

A Minton Plate
直径:23cm
窯印:Minton factory mark with a crown year mark for 1860(imprint)中央には、海底に沈むオウム貝や海草と、その前に置かれた、クレストが描かれたミントンブルーの盾。
周辺部には、金で描かれた網の目の向こうで、金魚が悠々と泳いでいる。
水草も描かれ、海水ではなく淡水の水槽の中を描いている様に見える。
裏面には上手のモノに使われるミントン社の王冠のマークがプリントされている。水槽(Aquarium)で魚が飼われた歴史は古く、エジプト時代に遡るが、食用の魚の保存が目的だった。観賞用の金魚が飼われたのは960年の中国が最初で、日本では1616年に金魚が渡来した。ヨーロッパでは1780年のオランダが最初で、1850年にはアメリカにまで拡がっている。
イギリスでは1830年代に園芸用に開発されたテラリウム(terrarium)の枠付きのガラスケースが、アクアリウムとして応用された。
特に1851年のロンドン万博で鉄枠のガラスで覆われたアクアリウムが展示され、これを契機にイギリスでは富裕層でアクアリウムが大流行する。この作品は、そういう流行期に制作されたモノという事が推察されるが、中央の装飾は、海底を表現したモノと思われ、こういうオウム貝などの装飾は、Worcesterなどのイギリス磁器窯で18世紀初頭より流行した装飾の流れを汲むモノと考えられる。
クレストの金彩は周辺部の金彩は質的に異なり、regildingが疑われる。